Macと私 #1〈プロローグ〉
Macintosh 512K(だと思う)との邂逅
私が大学出て設計事務所に潜り込んだ(本当に苦労したんです)のが、1985年の春。
前も書いたように、当時は図面はドラフターで手描きが当たり前の時代。FAXとワープロが一般企業に普及し始めた頃です。
確かその年だと思うのですが、ある日、キャノン販売(あのCanon系です)から商品展示会の招待状が届き、ボスと二人で展示会に行きました。そこで、初めてMacの実物を見たんです。それが多分、Macintosh 512K。
後のクラシックとなるモデルとジョブス。まだモノクロです。
(関係ないけど、お笑いのふかわ、若い頃のジョブスに似てね?)
で、設計事務所向けにMacDrowというアプリ(当時はソフトと呼んでいましたけどね)で住宅の配置平面図が描かれていて、デモンストレーションをやっていたんです。
それはもう、衝撃でした。
Wikiで調べたら、
日本では1985年にMacintoshの代理店でもあったキヤノン販売が512Kに漢字ROMを搭載し日本語を扱えるようにしたDynaMac(ダイナマック)を提供していた。
DynaMacという名前が付いていたんですね。
※この辺りの昔話を詳しく知りたいヒトはこちら
Apple/Macテクノロジー研究所 DynaMacに見るMacの日本語化奮戦記
ところで、このMacDrowの操作パレットのコマンドのアイコン、何かに似ていません?
そう、Adobi社のフォトショやイラレ。そしてMacで図面描いてる私達がほぼ使っているVectorWorks(旧名称はMiniCad)らのルーツは、このMacDrowとMacPeintなんです。
当時の日本のパソコンと云えば、NECが9801シリーズを出した頃。OS(当時は基本ソフトと呼んでいました)はMicrosoft社のMS-DOS。(ビルゲイツが億万長者への階段を登り始めた頃?)Basicと云う言語で幼稚なプログラムを組んだりしていました。(マウスはまだ存在しなかった様な?) パソコンよりも当時の企業にはワープロが普及していました。CADもボチボチ発売されていましたが、ハード+ソフト+プロッター(大型プリンタ)のセットでウン千万円!の世界。コンピューターで図面を描くとか夢のお話でした。
そんな時代でのMacとの邂逅ですから、たった9インチ(iPadの9.7インチより小さい)のモニターの中にチャンとした図面が描けているのが第一の衝撃。
そして値段が約百万円もする事が第二の衝撃。
オプションの外付けハードディスクが、確か80MB (TBでも、GBでは無い。MB!)で何十万もする! 当時はまだインクジェットの発明前夜(多分)でレーザープリンター(LaserWriter : Aplle製)も百万コース!
でもね、何か洒落たデザインで、格好いいんですよ。確か生まれて初めてマウスなるモノに触ったのもこの日。
一発でMacの虜に。それこそハートを鷲掴みにされちゃいました。(私はこの手の体験が結構多いんです。ま、それらはまた後日)
いつかMacで図面描くぞ!そう決めました。
パソコンが事務所にやってきた!
それから、3年後ぐらいの話。当時仕事を頼んでいたパース(建物の完成予想図を描く仕事)屋さんが居まして、この人はパースソフトで建物の輪郭を3Dで作って、アングルや構図を検討して印刷。それを手描きでトレースして絵の具で着色していたんですね。
である日、そのパース屋さんとパソコンの雑談してて、”新型に買い換えるから、もし良かったら、今のパソコン下取りしません?” 金額は3万円!しかも”ソフトも付けてあげるよ。” とのありがたい申し出。すぐにボスに相談→説得→駄々こねて交渉成立!
事務所にパソコンが来ました!それがコレ。
NEC9801VM (一言もMacが来た! とは言ってないし。)
私が社会に出た1985年頃から数年で、日本のパソコン状況は随分と進化しました。CADの3点セットもウン千万円から1千万円前後にこなれて来ましたし。(依然手の届くゾーンではないが)ワープロからパソコン+ワープロソフトへ。更に表計算ソフトも台頭してきてました。また、インクジェットプリンターが出現(確かキャノンのバブルジェットが走り?)して、印刷の仕上がりとイニシャルも含めたコストパフォーマンスが劇的に向上したのもこの頃。(確か、、)
さらにこの頃、黒船と呼ばれたDosVマシンがマイクロソフト社のエクセル、ワードを引き連れて日本上陸。日本パソコンメーカーも参入し、やがてNECの牙城が崩壊していました。次のビッグウェーブ windows3.1 の登場はまだです。(多分)
また、海の向こうでは、Macintosh512K(パソコン) + LaserWriter(レーザープリンター)+ PageMaker (雑誌等の頁をレイアウトするソフト)の組み合わせで出版・印刷業界に激震を起こしていました。以後、活字写植、版下、といった昔ながらの印刷手法、システムを徐々に駆逐していきます。
で、我が事務所に9801と一緒に来た連れ子(ソフト)達の顔ぶれはと云うと、
・一太郎(ワープロソフト):まさかのバージョン1.0! ワープロソフト日本No.1になるも、しかし後にワードにシェアを奪われる事になる。ATOK(漢字変換FEP)は、この一太郎の心臓部を取り出して発売したもの。
・花子(お絵かきソフト):本当にお絵かき程度のソフト。使い物にならなかったし、その後いつの間にか消えたね。
・ダイナパース(パースを描くソフト):まだレンダリング(素材感や光とか影を表現する機能)は未搭載。立体を入力するインターフェイスは秀逸だった。まだあるのかな?
・ロータス1.2.3(表計算ソフト 確か、バージョンは2.3 ”ろーたすわんつぅすりぃ”と発音する):DosV席巻後にエクセルにシェアを奪われる事になる。
あ、それとプリンターも来ました一緒に。ミシン目が入ってて、両端にパンチの穴みたいなのが空いていて、ジャバラ状に繋がってる専用用紙を歯車みたいなギヤにセットして、インクがリボン式で、印刷音がキィキィうるさくって、、、、、、
誰か! この手のプリンターの名称なんだっけ?
NEC9801VM(愛称:ブイエム君)で仕事しましたよぉ。バリバリと。見積書、報告書、事業計画書(ロータスで作った!)、工程表、図面タイトル文字、等々、、、、、、(なんと呼べばいいか判らない)例のプリンターで印刷して、それをコピー用紙にコピーして。(図面タイトルは、透明シールに印刷してカッターで切って、トレーシングペーパーに貼ってた!)
しかし依然、図面はまだ手描き!
何故なら図面の、プリンターも含めた成果品(図面)のクオリティが低すぎたから。
転機
数年後、ブイエム君を酷使しすぎて、ハードディスクが満タンに。SE(システムエンジニア:そう言えば最近この単語、あんまり耳にしないような?)の友達に相談。丁度ハードディスクの余ったのがあるとかで、それと交換してくれる事に。まだこんなマシン使ってるのか?と云いつつ、データの移植までやってくれた。感謝!
正直云うとハードディスクが満タンな事には気付けず、ただ調子悪いので見に来てくれん?と頼んだのが事実。
ハードディスクの交換、最近は割と簡単ですよね。ボディ開けて、ケーブル抜いて交換。で、電源入れたらリカバリーソフトで認識させて、フォーマット→OSからインスト
当時の交換も前半までは同じでした。開けてケーブル抜いて交換、ここまでは。ここからは、魔法使いの世界なんです。ハードディスクをブイエム君に認識させマウントさせる為にSE氏は、黒い画面の中に緑色の呪文を延々と打ち込む訳ですよ。その魔術を横で見ていて、MS-DOSを勉強しよう! と心の中で密かに決めました。
おかげで無事にブイエム君は戦列復帰。私は本屋へGO! ”猿でもわかるMS-DOS 3.3” みたいな本をゲット、早速DOSの勉強開始! あれ?何だこの本?本当に日本語で書いてあるのか? 何故無性に睡魔が襲って来るんだ? と不思議に思ってた頃、SE氏と再会。すると一言。
”今更もはや時代遅れのDOSの勉強なんか無駄だ。意味が無い!” (えっ!?) さらに、、、
”一太郎+ロータス1.2.3 じゃなく、エクセル+ワードの時代が来るはずだから早めに乗り換えるべきだよ。” と来た。(えーっ! そなの?) と思っていると、、
”これからの時代は、Macだよ!” (知ってるよMacなら前から。)すると、次にSE氏の口から出た言葉は、、、、
”俺、Mac買い換えるから、今のマシンを下取りしない?”
デジャブ?こんな会話を誰かといつかしたぞ? イヤイヤそんな事はどうでもイイ。Mac? 俺が? 下取り? まさか値段は3万円????
流石に、値段まではデジャブでは無かったのですが、Macとの邂逅から約7年。
晴れて私は、、
マックユーザーになることになったのです。 (つづく)
今日のお願い:パソコンの歴史をろくに調べもせずにくどくどと述べました。多分ツッコミ処満載です。ご勘弁を。(ツッコミ上等!でもあります)
今日の新作スタンプ:昨日描いた一部です(LINEスタンプの審査は進展なし)
ではこの辺で